イギリスの発明家ジェームズ・ワット(1736年1月19日~1819年8月25日)は、イギリスの発明家トマス・ニューコメンが作った初めての実用的な蒸気機関を改良して、全世界の産業革命の進展に貢献しました。しかし、蒸気機関車に関しては、新技術の妨害を行ない、その開発を遅らせてしまったのです。

蒸気機関の歴史は、古代ローマの時代に遡ります。初めは「ヘロンの蒸気機関」という、球の両端から蒸気を噴出させてその球を回転させるものでした。

1690年には、フランス生まれの物理学者ドニ・パパンが、蒸気機関の模型を製作します。続いて1689年になると、イギリスの発明家トマス・セイヴァリが、火の機関(セイヴァリ機関)を開発し、特許の取得に成功しています。

セイヴァリ機関の特許内容が、火力で揚水する装置というもので、ニューコメンはこの仕組みやパパンの模型を参考に、初めて実用的な蒸気機関を作製したのでした。これは1712年のことで、鉱山の排水用に使われ、その後イギリスを始め世界中で巻き起こる「産業革命」の芽生えとも言える出来事です。

「産業革命」の始まりは、1760年代のイギリスとされています。それに少し先んずる1757年のこと、グラスゴー大学で天文学機器の調整に技量を発揮したワットは、大学内に小さな工房を作ってもらうことになり、そのことが蒸気機関との出会いに、そして産業革命へと繋がっていくのでした。

1761年、工房において友人の教授ジョン・ロビソンから蒸気機関のことを聞いたワットは、それに興味を持ち、模型を作っては動作させようとする実験を繰り返しました。模型はなかなかうまく動作はしませんでしたが、ワットに熱の基礎知識を蓄積することになり、大学のニューコメン機関を修理するまでに至ったのです。

1769年、ワットは様々な実験の末、新方式の開発に成功します。ニューコメン機関に復水器を取り付ける改良を行なって、効率アップを行なった他、正圧の利用・回転運動への変換・調速機の利用と、数々の改良点を追加したのです。

1775年には、ワット自ら土木技師として働き、マシュー・ボールトンの資金協力を得て、自身の蒸気機関に関する特許を元に、ボールトン・アンド・ワット商会を設立し、新型の蒸気機関の商品化事業を始めました。そして、翌年には最初の業務用動力機関が完成し、研磨・紡績・製粉などへの産業界へと進出して行くのです。

この後もワットは、1781年の遊星歯車機構、1781~1782年の複合機関、1784年の平行運動機関、1788年の出力調整用絞り弁と遠心力調速機など、蒸気機関に関する特許を取り続けていきます。そして、1794年には商会を蒸気機関製造会社に発展させ、大企業へと成長して行くのでした。

ワットの蒸気機関の特許は、1800年にその効力が消滅します。産業革命に大きく貢献していたワットの特許ではあったものの、実はその効力が進歩を速度を遅らせている面もあったのです。

その証拠に、この特許の効力が切れてすぐに、リチャード・トレヴィシックなどが高圧蒸気機関を開発し、アメリカでもジョージ・コーリスが大幅に蒸気機関の効率を改善したりと、産業革命の進展を大きくしているのです。

またワットは、自社工場の技術者ウィリアム・マードックの高圧蒸気機関の開発を禁じ、自分の蒸気機関の改良だけをやらせます。このため、蒸気機関車が開発されるのは、1804年のトレヴィシックまで待たされることとなったのです。

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