古代イスラエルの民族指導者モーセ(前16又は前13世紀)は、神が彼らヘブライ人(古代イスラエル人、ユダヤ人)に与えると約束した地カナンを目指す選択をしました。「出エジプト」と呼ばれるこの歴史的移住行は、彼の存命中には成し遂げられなかったものの、荒野を放浪すること40年の歳月を経て、ようやく約束の地へと導いたのです。

モーセはイスラエル人の祭司の一族であるレビ族で、エジプトに暮らす家族のもとに生まれました。父はアムラム、母は父の叔母のヨケベド、兄アロンと姉ミリアムの兄弟がいました。

彼が生まれた頃のこと、ファラオ(古代エジプトの君主の称号)はヘブライ人が増えていくことを疎ましく思っていました。そして、恐ろしいことにファラオは、ヘブライ人の男児を全て殺すよう命じたのです。

生まれて3ヶ月ほどは隠し育てられていたモーセでしたが、ついに隠し切れなくなる時が来ました。そこで、ヨケベドはモーセをパピルス(紙の語源になった植物)の箱舟に乗せ、ナイル川(アフリカ東北部を流れエジプトに河口を持つ世界最長級の川)の葦(あし)の中に隠すこととしたのです。

ミリアムが箱舟を様子を窺っていたところ、王女が川に水浴びにやって来ました。そして、神の思し召しか、モーセは王女に拾われ、命を永らえることとなるのです。

やがて成長したモーセは、自分と同じヘブライ人がエジプト人によって強制労働をさせられ、酷い仕打ちを受けている実情を目の当たりにします。そして、ヘブライ人を殴っていたエジプト人を、同様に殴って殺してしまうのでした。

この選択は人としては間違ったものと思われますが、その後の「出エジプト」という歴史的出来事へと繋がる大きな転換点となります。殺人が発覚し、ミディアン(アラビア半島)に逃亡したモーセは、ここで神からエジプトのイスラエル人を、約束の地(現在のパレスチナ周辺)へ導くよう命じられたのでした。

モーセはエジプトに戻り、ヘブライ人がエジプトを出ることをファラオに願い出ます。しかし、これをファラオは拒絶し、エジプトには「水を血に変える」・「カエル・ブヨ・アブ・イナゴを放つ」・「疫病を流行らせる」・「腫物を生じさせる」・「雹を降らせる」・「暗闇でエジプトを覆う」・「長子を皆殺しにする」という災厄が降りかかりました。

これによってファラオはヘブライ人がエジプトを出ることを認め、「出エジプト」は始まります。しかし、モーセ一行が出立すると、ヘブライ人を奴隷のように使っていたエジプト人の不満の声が巻き起こり、一転してファラオはヘブライ人を追うよう命じました。

エジプト軍が背後に迫る中、モーセたちは紅海(アフリカ東北部とアラビア半島とに挟まれた湾)に辿り着きます。海を渡る手段を持たない一行は、エジプトにいた方が良かったと言い出す者まで現われる始末でしたが、神を信じるモーセは杖を高く掲げ、海水を左右に分けて海底を歩いて渡るという奇跡を起こすのでした。

ヘブライ人に続いて海底を渡ろうとしたエジプト軍でしたが、神は彼らにはその力を貸してはくれません。左右に押し上げられていた海水は、一気に元に戻ってきて、エジプト軍をのみ込んでしまったのです。

モーセ一行のカナンを目指す放浪が3ヶ月目になった頃、ヘブライ人の不平も増えていました。そんな時、神はシナイ山でモーセに十戒(10の戒律)を与え、ヘブライ人と契約を交わすのです。

その後も荒野放浪続けられ40年の歳月が流れましたが、モーセはその地を目の前にしてそこに入ることを許されることなく120才で最期を迎えます。そして、一行は新たな指導者ヨシュアによって、カナンに入るのでした。