オルレアン包囲戦(1428年10月12日~1429年5月8日)は、イングランドとフランス・スコットランド連合が半年以上も対峙した、百年戦争(1337年11月1日~1453年10月19日)の大転換点となった戦いです。ここでジャンヌ・ダルク(1412年頃の1月6日~1431年5月30日)は、自身とフランスに最初の大勝利ともたらしました。

ジャンヌは、神聖ローマ帝国(現在のドイツ・オーストリア・チェコ・イタリア北部にあった国)とフランス王国の2国に仕えていたバル公領で生まれました。彼女の村ドンレミはフランス領に入っていて、ずっとフランス王家に忠誠をつくす気持ちの強いところだったのです。

ある時、10才かそこらになったジャンヌに「神の声」が聞こえるようになります。彼女は、人の魂を秤にかける天使ミカエルや、斬首で最期を迎えた聖カタリナ、それにキリスト教信仰の放棄を拒んで拷問を受けた聖マルガリタなどの姿に触れ、イングランドを追い払うようにとの使命を与えられたのでした。

神に召喚されたジャンヌは、フランスのために戦うことを決意し、16才の時(1428年?)にシノンというところにあった仮王宮への訪問を願い出ました。しかし、この時には、少女の思いはバカげたものと嘲られ、追い返されてしまいます。

1428年10月12日、フランス中部のオルレアンという都市でイングランド軍との戦いが始まります。長い長いオルレアン包囲戦の始まりでした。

この戦いは、更に長大な長さで続いているフランスとイングランド両王国による百年戦争の中の、最大の山場と言えるものです。戦いはフランス王国の王位継承問題に端を発し、イングランド王国に至ってはプランタジネットとランカスターの2王朝に跨って続けられたのでした。

10月17日、トゥーレル砦に対する砲撃が行われます。そして21日には、ブールバール(城壁上の通路)の攻撃がありましたが、フランス軍はあらゆる手を尽くしてこれを撃退しました。

すると、イングランド軍は攻撃を一旦休止して防塁を築き始めたのでした。これに対しフランス軍は、防塁の坑道支柱を焼打ちにして邪魔をするのです。

10月23日、成果をあげて砦に戻ったフランス軍でしたが、その次の日になって嵐が吹き荒れ、耐えられなくなったフランス軍は、チリジリになってイングランド軍の攻撃から逃げる羽目に陥ったのです。こうしてトゥーレル砦は陥落し、オルレアンは風前の灯火となりました。

こんな時、再び仮王宮への訪問を願い出たジャンヌは、オルレアンで行われるニシンの戦い(1429年2月12日)において、フランス軍が負けてしまうとの預言を行ないます。この預言は見事に的中し、ついにジャンヌは仮王宮への訪問を許可され、時の国王シャルル7世(在位:1422~1461年)に謁見するのでした。

神の声を聞いたというジャンヌの言動は、百年戦争をフランス王位継承問題から宗教戦争という姿に変えつつあり、シャルル7世には彼女が魔女と見なされる心配もあったのです。しかし、それ以上にジャンヌの聖性は、フランスを救う原動力と成り得たのでした。

1429年4月29日、オルレアンに到着したジャンヌは、初めのうちはフランス軍の作戦会議への参加は許されていませんでした。しかし、神を信じる彼女は、かまわずに作戦会議はもとより、戦いの中へと身を投じて行ったのです。

5月4日、ジャンヌ率いるフランス軍が攻撃を開始し、翌日には放棄されていた要塞を占拠、その翌日の作戦会議ではイングランド軍の追撃を主張します。結局、彼女の活躍によって戦いは、5月8日にフランス軍の大勝利に終わりました。