古代イスラエルの民族指導者モーセ、キリスト教を創始したイエス、彼らに次ぐ最高・最大の預言者マホメット(570年頃~632年6月8日)は、大天使ガブリエルの啓示を受けました。こうして、ユダヤ教からキリスト教、そしてイスラム教へと唯一神の宗教は引き継がれ、その宣教が行われていくのでした。

長く日本では西欧などの表記に従って、イスラム教の開祖をマホメットと呼んできました。これを、その出身部族クライシュ族の言語アラビア語に基づいて言えば、本名はムハンマド・イブン=アブドゥッラーフとなります。

マホメットは、父アブド・アッラーフが亡くなって数か月後に、アラビア半島のメッカに生まれます。幼くして母アーミナも亡くなってしまったため、マホメットは祖父アブドゥルムッタリブと叔父アブー・ターリブに守られて成長しました。

595年頃、同じ名門ハーシム家出身のハディージャ・ビント・フワイリド(555年?~619年)と結婚します。彼女は既に二人もの夫と死別していてマホメットよりも15才年上で、その遺産によって非常に富裕な生活が送れたことから、25才の彼は自由気ままに瞑想にふけることができたのでした。

カースィムとアブドゥッラーフいう2人の息子と、ザイナブ、ルカイヤ、ウンム・クルスームそれにファーティマという4人の娘も生まれ幸せそうでしたが、息子たちが成人せずに亡くなるという悲しい体験もしています。ちなみに、晩年になってエジプトのコプト人奴隷マーリヤとの間に生まれた息子イブラーヒームも早くに亡くなっています。

610年8月10日、40才になったマホメットが郊外のヒラー山の洞窟で、相変わらず瞑想をしていた時のこと、目の前に大天使ガブリエルが現われます。天使は、その当時アラビアで信仰されていた数多くの神々の中から、アッラーを唯一神としてその啓示(超越的存在による真理・知識・認識の開示)を授けたのでした。

アッラーの啓示を受けて困ったマホメットは、家に帰ってくるとそのことを妻ハディージャに話します。すると彼女は、迷わず彼を励まして、自分は従弟のキリスト教修道僧ワラカ・イブン・ナウファルに相談に行くのでした。

ハディージャの話を聞いたワラカは、マホメットがモーセやイエスと同じ預言者であることを確信します。そしてワラカは、マホメットに預言者としての自覚を持たせ、ハディージャはイスラム教最初の信者となりました。

その後もアッラーの啓示は下され、マホメットは妻に続きいとこのアリー、友人のアブー・バクルなど、近親者をイスラム教の信者としていきます。この宣教活動は、多神教の聖地でもあったメッカにおいては劣勢で、町の有力者からは強烈な迫害を受けたのです。

619年頃、最も熱狂的なイスラム教信者で、最大の保護者でもあった最愛の妻ハディージャが亡くなります。ここにきてメッカでの宣教に行き詰まりを覚え、マホメットは悩み続けました。

622年、ついに転機が訪れます。メッカの北にあるメディナの住民から部族間の調停を依頼されたマホメットは、これを好機とメッカを脱出し、宣教の拠点をメディナへと移します。

所謂、聖遷(ヒジュラ)と呼ばれるイスラム暦の紀元ともなり、イスラム教最大の出来事です。ヒジュラという言葉には、新しい人間関係を構築するという語感もあって、人生を見直す際にはかなり重要な要素となるのです。