歴史上の人物の選択から自分の人生を考え直す

ヒトラーは世界史最悪の反面教師!【ホロコースト】への選択の道

アドルフ・ヒトラー(1889年4月20日~1945年4月30日)は、世界史上を見渡す中最悪の反面教師と言えるでしょう。独裁者としてドイツに君臨した彼の選択の道は、あまりにも悲惨な大災厄「ホロコースト(ユダヤ人の大量殺戮)」を生みだしたのです。

皮肉にも「ホロコースト」という名称は、元々はユダヤ教で使われているもので、神に生贄として獣を丸焼きにして備える「燔祭(はんさい)」を意味していました。そのため、ユダヤ教徒にとってはヒトラーの暴虐にこの名称を使うことには批判的な者も多いのです。

ヒトラーの出生地はオーストリア=ハンガリー帝国で、6才で父アロイスの仕事の関係でバイエルン王国(現在のドイツ南部)に移住します。2年後オーストラリアに戻り、この時から父との諍いが始まることとなります。

自分のはっきりしない血統を打ち消すかのように、ヒトラーは独裁者となったのちに、ドイツ国民こそ最も純粋なアーリア人であるとの考えの下、「ホロコースト」へを突き進んでいくことになるのです。

この父もヒトラー14才の時に亡くなり、彼は実技学校を中退、16才で再び別の実技学校も中退、その後は正規の教育を受けることはありませんでした。各地を転々としていたヒトラーは、24才になって兵役を逃れるため国外逃亡します。

翌年、強制送還された彼は、結局兵士としては不適合と判断され、徴兵されることはありませんでした。しかし、ドイツ帝国が第一次世界大戦に参戦するや否や、彼はバイエルン軍に入って義勇兵となります。

1918年、ヒトラーは伍長として、野戦病院で入院中に大戦の終結を迎えます。そして、翌年にはバイエルン・レーテ(社会主義者の政権)軍に入り、スパイとしてドイツ労働者党(DAP)の調査を担当します。

1919年9月12日、DAPの会合に参加したヒトラーは、大学教授との大論争を展開し、その雄弁さに感心した党代表のドレクスラーから、入党の招待を受け、その月の内に仲間入りしてしまいます。この年書かれたヒトラーの手紙には、ユダヤ人の除去を最終目標とする内容が書かれていました。

その後NAPは、ヒトラー主導の下、国家社会主義ドイツ労働者党(DNSAP、ナチス)へと改称します。このナチスが、ドイツとユダヤ人、そして世界中を恐怖の渦へと巻き込んでいくのです。

1933年3月28日、ヒトラー内閣成立から2ヶ月後のこと、「反ユダヤ主義的措置の実行に関する指令」という、ユダヤ人への大規模ボイコット命令が出されます。ついに、ヒトラーによる独裁が顕在化し、「ホロコースト」への動きが具体化され始めたのでした。

1935年9月15日、「ニュルンベルク法」の制定によって、ユダヤ人はドイツ国籍であっても帝国市民としての権利は無くなり、ドイツ人類縁との婚姻などが禁止されます。そして、1937年にはユダヤ資本の解体、1938年にはユダヤ人がユダヤ姓を変えることが禁止されました。

1939年1月24日、ユダヤ人の国外移住政策が開始されますが、9月1日の第二次世界大戦の勃発によって、この政策の実施は困難なものになっていきます。1940年5月、ヨーロッパのユダヤ人をマダガスカル島への移送するという「マダガスカル計画」も、中止に追い込まれます。

1941年12月12日の会議で、ヒトラーはユダヤ人の絶滅の必然性について演説し、翌年1月20日の「ヴァンゼー会議」において、「ホローコースト」の方針が決定づけられるのです。もっと他に選択肢は無かったものなのか、歴史上最大の汚点と言えるでしょう。