歴史上の人物の選択から自分の人生を考え直す

ハンムラビ王は苦渋の隣国臣従に耐えてバビロニア帝国を築いた!

当初は弱小の都市国家であったバビロンのハンムラビ王は、北方の隣国アッシリアに臣従するという苦渋の選択をし、その地位の境遇に耐えました。やがて、その選択が功を奏し、着々と周辺国を征服し、ついにはバビロニア帝国を築きあげることができたのです。

ハンムラビは、前1810年頃にメソポタミア(現在のイラクの一部)地方にあった、バビロンという小さな都市国家に生まれました。父のバビロン第5代王シン・ムバリト(在位:前1812年~前1793年)までの時代は、周辺の強国からの侵入を警戒し続けなければならない、とても不安定な時期だったのです。

バビロン第6代王となったハンムラビには、アッシリア・イシン・ラルサ・マリなどの周辺大国の脅威が迫っていました。

アッシリアは、バビロンの北北西に位置するメソポタミア北部を支配する大国でした。ハンムラビ王治世(前1792年頃~前1750年頃)にアッシリア王だったのは、シャムシ・アダド1世(在位:前1813年~前1781年)とイシュメ・ダガン1世(在位:前1780年~前1741年)の二人です。

ハンムラビの先代から、バビロンとアッシリアは同盟を結んでいましたが、その実態は弱小国家バビロンが強大国家アッシリアに臣従するというものでした。バビロン王となったハンムラビは、この臣従という形の同盟関係を苦渋の気持ちで選択し、その境遇に耐えながら次第に力を付けていったのです。

イシンは、バビロンの南東に位置する都市国家でした。前20世紀前半まではメソポタミア南部で最も大きい王国でしたが、第5代王リピト・イシュタル(在位:前1934年~前1924年)の時代にラルサが独立した頃から、このラルサと北西にあったバビロンからの圧力で弱体化して行ったのでした。

ハンムラビの治世にイシン王だったのは、第10代エンリル・バニ(在位:前1798年~前1775年)から第15代ダミク・イリシュ(在位:1752年~1730年)までの6人です。

ラルサは、イシンの南東に位置する都市国家でした。前2千年紀の初めころには、メソポタミアの覇権を手に入れようとするほどの勢力でしたが、前1784年頃までに最後の王リム・シン1世(在位:前1822年~前1763年)は、ハンムラビによってイシンを奪われてしまうのです。

そして、ハンムラビの治世に最後のラルサ王だったリム・シン1世の後、ハンムラビの死までバビロンの支配は続くのでした。

マリは、トルコ北東部からシリアを通過しイラクでチグリス川と合流するユーフラテス川中流の西岸、バビロンの北西に位置する都市国家でした。前2900年頃から繁栄していましたが、前1759年にハンムラビによって破壊されてしまいます。

ハンムラビ治世にマリ王だったのは、ヤスマフ・アダド(在位:前1796年頃~前1776年頃)とジムリ・リム(在位:前1775年頃~前1759年頃)の二人です。元々このマリ王国と同盟を結んでいたバビロンでしたが、それまでの強敵ラルサを滅ぼしたハンムラビは、前1761年に同盟を反故にして攻撃をしかけたのでした。

前1757年頃、アッシリアへの臣従に耐えながら力を付けてきたハンムラビは、満を持してアッシリアへの出兵を決行します。そしての征服に成功し、メソポタミア地方を統一を果たすのでした。

これにとって統一されたメソポタミア南部のシュメールとアッカドの二地域は、バビロニアという新しい名前を持つようになります。ここにバビロニア帝国が誕生するのでした。

下手に強者に挑まず、少しずつ力を付けて、やがてトップに上り詰めるという生き方の見本と言えます。